いといがわ(糸魚川)

@歴史  大昔、ヌナガワヒメという巫女女王が、この地の中心になってヌナガワ族を束ねていた

たいへんな美人で、遠く出雲国(島根県)まで鳴り響いていたので、美女に目が無いオオクニヌシノミコト(大黒様)が聞きつけて
遙々、ヌナガワの地まで訪ねて来て、3日3晩求愛をしたそうだ
さすがは大黒様、ついにヌナガワヒメはオオクニヌシノミコトの第三夫人になって、男子が二人生まれた
その後、ヤマトが九州から出雲に攻め込むと、オオクニヌシノミコトはヤマトに葦原中国の都、出雲国を譲った、しかし次男坊のタケミナカタのミコトは性格も荒々しく大力の持ち主だったので、潔しとせずヤマトに戦いを挑んだ、しかし力尽き敗れて、信州諏訪湖の龍神となってこの地から出ないことを条件に助命された。
諏訪神社下社秋の宮にはタケミナカタの母、ヌナガワヒメが安産子宝の神として祀られて居ます
糸魚川には長者原を代表に各地で縄文土器が発掘されています、また日本唯一の極上ひすいの産地である事から、ひすいの勾玉も発掘されています。
糸魚川産のひすいは青森の三内丸山遺跡でも、また九州でも発掘されているので、日本中と何らかの交流があったことが想像されます。

中世の糸魚川地区は上杉謙信の越後領の最前線で勝山城、根小屋城、不動山城が遺構として残っている
謙信の死後、謙信の姉の息子、景勝と、北条氏から養子に来ていた景虎の跡目相続争い(御館の乱)があり武田勝頼の支援を受けた景勝が
勝利、景虎は討ち死にした
そのため根小屋城(根知)は武田勝頼にお礼としてわたした。 また不動山城は城主山本寺氏が景虎方だったので攻められて落城した
その後、上杉景勝は豊臣秀吉と同盟を結んだが、その時、勝山城で会見したということになっている。

上杉氏が秀吉の命令で会津に転封され、秀吉の寵臣堀氏がこの地を治めた、江戸時代になると徳川の一族、松平氏の領地となったが、殿様は代々江戸から離れず、城代家老や代官が糸魚川の徴税を行った。

Aことば   新潟県は全国で5番目に大きな県で、しかも長さで言えば北海道以外では長野県とほぼ同じ長さになる

富山、石川、福井を合わせたほどで、東海道だと東京から浜松までと同じくらいの海岸線になる、そのため上越、中越、下越+佐渡に区分けしているが、上越は北陸.信濃  中越は北関東  下越は東北に近い
越後弁は独特のイントネーションがあるが、中越、下越は割と似ている、あまり口を開かずに「・・・」といった話し方、上越地区は割とはっきりした発音で話す。方言は大きな県だけに地域間格差が大きい、糸魚川にも独特の方言がある

糸魚川のイントネーションは隣接する富山県(関西圏)、長野県(ズラ言葉)でも無く、新潟県のおめさん.せってね言葉でも無い独特な言葉である
イントネーションは平坦で標準的でやや早口である。  方言は多い 語尾は「さ〜」そいやんさ〜  「だっちゃ」そいやんだっちゃ
「だわね」そいやんだわね 「なんさ」そうなんさ  逆接は「だけんさ」そいやんだけんさ  肯定「そいやんさ」 疑問「そいやん?」
言い切り「そいやんだわね」  単人称「おまん」 複数人称「おまんた」  複合「おまえちゃ犬」(おまえさんの家の犬)
「わいらとこの犬」(おまえら家の犬)   「だぼや!」(ばかもの!)  「ええしょ」(金持ち)   「やんなるわ」(いやになる)

あばちゃ/あば(次女以下の娘) おっちゃ/おじ/おじごんぼ(次男以下の息子) 

「こんな!」(くるな!) 「いけちゃんだわ!」(行けと言っているんだ)  「そんななん 簡単だわや」(そんなの簡単)
「はよ しろっちゃ」(早くやれよ)  「はよ せいや」(早くやれよ)  「おまんたばあか ええやん」(あんたたちばかり いいですねえ)
「ええか おこるわんぞ」(いいかげんにしないと怒るぞ)  

「ゆうべさ ええとこで おまんたとおちゃんね ああたんさ ええかんよおてさ うたなんちゃうたってさ えらいごきげんだったよ」
(昨日の夜 いいところで あんたのお父さんに あったよ かなり酔ってて 歌なぞ歌って えらくご機嫌だったよ)

「おまな しらんだろうけん おりゃ よおしっとるよ いくらうそこいたて かみさんはちゃんと見とるわね いまねバチ当たるそいね」
(あなたは知らないだろうが 私はよく知ってるよ いくら嘘をついても 神様はちゃんと見てますよ いまに罰が当たるよ) 

B地形  糸魚川の地質、地形は日本初の世界ジオパークに認定された。 外国からも専門家が見学に訪れている

日本の本州島は、北の北アメリカプレート上の島と西のユーラシアプレート上の島ががぶつかって押し合い、一方が下に潜り込み
一方をまくり上げたので、そこが3000mの日本アルプスになった。
境目は数千メートル陥没して、海底にあったとき、そこに泥などが堆積して5000mほど積み重なり大地になった、その幅は50kmから
100kmほどで、北は日本海糸魚川から南は太平洋静岡に一直線なのが西端で、東端ははっきりしていない
これを「フォッサマグナ」という
糸魚川は、まさにフォッサマグナの上にある、そしてここはフォッサマグナの西北端でもある、富山県以南はユーラシアプレート
新潟県中越以北は北アメリカプレート、糸魚川人は接点の隙間に積もった堆積物の上で暮らしている

糸魚川は割と自然災害が少ない地域である、地震の直撃、台風の直撃、水害、津波、竜巻ほとんど影響がない
それは西側に3000m級の白馬連峰と立山連峰が大きな壁になって風を遮り、海からの強風も能登半島が和らげてくれる
プレートによる地震も堆積物がワンクッション置いてくれるので、大きな揺れにならない
但し、冬の海からの北風は町中を錆びさせてしまう、塩害の町だ。 道路が赤いのはなぜ」と外部からの人によく聞かれる、それは
地下にある消雪パイプの管が錆びて、サビが水と共に流れ出て道路に染みつくからだ
自動車や家屋の日持ち年数は長野県や関東などのものに比べると3分の1以下の寿命しか無い、
それと冬の大火災が多い街でもある、江戸末期から今までに10回近い大火があったそうだ、2年前には147軒被災した大火があったばかり
あれは風速20m以上の南風が一日中吹いたのが悪かった
その原因は、長野県の松本盆地にたまった大量の風が、ストローのような細い大糸線沿いの谷間を一気に吹き出すからだと
言われている。

糸魚川は富山県、長野県に接して、最高地点は2776mの小蓮華山、これは新潟県の最高地点でもある
2つの国立公園、平岩、蓮華、早川、根知、能生谷などいくつもの温泉もある
焼山2400mは活火山で時々水蒸気の噴煙を激しく吹き出す
最長の川は姫川で、源流は長野県の大町付近にある、支流の小滝川は日本唯一の上質硬玉ヒスイの露出地である
またひすい峡から伸び上がる明星山の岩壁には「小滝真ぱく」が自生している、これは愛好家にとってたいへん貴重なものであるようだ

標高約1100〜1200mの黒姫山から明星山まではカルスト地形、石灰岩の山である
山麓にはデンカセメント、明星セメントの2大工場がある、また鍾乳洞もあり、マイコミ平ら、百蓮洞、福ケ口が有名、特に百蓮洞は
たて穴鍾乳洞で、その長さは日本全体でも1.2.4位の三つの洞がある


C海 糸魚川市の海岸線は富山県境から上越市との境界まで約40kmある

海水浴場としては親不知、能生、百川、藤崎が賑わっている、また糸魚川以西、ひすい海岸から親不知、市振までの海岸では
ひすいを探すことができる
糸魚川の海は西部は深い富山湾の縁になっていて、一気に深くなり、アンコウ、メバルなどの深海魚の宝庫である
東側は早川を境に、佐渡に続く浅めの棚になっていて、岩場が多くカニや貝類が多い、昔は浦本は、たら場であったが、近年は
少なくなった、能生の海岸は直江津にかけて遠浅で、海水浴場が点在する、能生はベニズワイガニがふんだんにとれて、
マリンドリームはカニ観光で信州人に絶大な人気がある
能生にある県立海洋高校は、近年海の様々を学びたい若者に大人気で、全国から応募がある
オリジナルな海洋性食品を次々に民間と開発をして、魚醤「最後の一滴」、「すもうくんサーモン」などアイデア商品
「新巻鮭」は大人気で製造が追いつかない。 海洋高校のもう一つの名物は全国級の相撲部、伝統ある部活で力士も輩出している
常に全国で戦える強い相撲部である。

D文化人  全国的にはほぼ無名だが、地元で聞けば10人中7人は「相馬御風」と答える

明治から昭和中期の歌人で早稲田大学の同人。 早稲田大学校歌「都の西北」 童謡「春よ来い」を作詞、県内の多くの校歌を作詞した
全国的に有名なのは舞台女優、松井須磨子が歌って大ブレークした「カチューシャの歌」である、これを島村抱月と相馬御風が
半分ずつ作詞した、作曲は中山晋平
この歌よりも有名なのが、島村抱月と、その愛弟子、松井須磨子の不倫ラブである、妻子ある抱月は婿養子で恩人の娘と結婚
早稲田大学の重鎮で恩師の、坪内逍遙の先駆けとなって演劇を世に広めるため活躍した抱月だったが、役者に応募してきた大柄な女
松井須磨子《(芸名)誕生時の名前は小林正子》と不倫関係になる、須磨子はこの時、二度目の夫と住んでいたが家に戻らず
W不倫となる、夫はい言い出したら聞かない須磨子に愛想を尽かして離婚、だが抱月は妻と別れられず、世間の知るところとなる
ついに恩師、坪内逍遙も抱月に愛想を尽かせて劇団オーナーから降りてしまう
この騒動の時、抱月の後輩である相馬御風は何度も抱月の元を訪れて、取り持ちをしている。
この劇団運営にも重要では無いが一枚噛んでいたのである
ところが抱月は肺炎になってあっけなく40数歳の命が尽きてしまう、そして悲観した須磨子は抱月の後を追って首つり自殺をする
32歳の若さであった。 この葬儀にも相馬御風は糸魚川から参列している。

相馬御風のもう一つの顔は、小滝川の糸魚川産ひすいが、再び日の目を見るきっかけを作った人と言うことである
縄文時代、全国に広まった糸魚川産の加工ひすいだったが、貴族政治の頃から姿を消してしまう
そして昭和の戦後間もなく御風が小滝でひすいを発見するのである、それが大学教授のところに情報が行き、立証されて
再び、ひすいは貴重な装飾品として世に出るのであった。

E芸能界/スポーツ界

戦争中に疎開して住んでいた、など一時的住民も入れるとスポーツ界では、関脇黒姫山 プロレスのサンダー杉山
巨人で新人王を獲得した関本四十四投手、ヤクルト入団したがあえなく退団、ところが縁あってヤクルトの支社長になった
黒坂幸夫投手 バレー選手でタレントになった川合俊一 
芸能人では、アクション系の永井大  今ブレーク中のお笑い芸人 横澤夏子  水曜昼おび出演中の伊藤聡子など